脳内の住人達

頭の中にいる自分との対話でもあり随筆でもある

師走と言われても・・・

【師匠も走る】

この語源から付けられた師走。

もう少しで今年も終わる。

 

気付いたらあっという間の11ヶ月。

自分自身何が出来ただろうか?

ちゃんと活動出来てただろうか?

成果は出せてただろうか?

 

そんな事ばかり考えるネガティブ思考な俺。

 

師走で繁忙期に入る仕事に就いてる人も多いだろう。無論俺もその1人。

すると忙しいのが良いのか悪いのかは別としてもネガティブ思考は頭を過ぎらなくて済む。と言っても仕事の時だけだが。

 

毎回思うのだが仕事をしながらYouTubeで成果を上げてる人達というのは本当に尊敬する。

 

撮影時間や編集時間をしっかり確保して視聴者にしっかりとコンテンツをお届けしてるんだから凄い。

 

まぁ多分その方々は「計画的」に行動出来るからしっかりと準備が出来てるのであろう。

少なからず俺みたいな夏休みの宿題終わってない始業式前日の学生タイプでは無いと思う。

 

なりふり構わず常に走る事は良いけどどう走るかの指標は絶対に無いといけないよなぁ。

 

師走とか関係なしに仕事とYouTubeを両立出来るように走りたいのだが・・・

誰かいい方法知ってる?

こればかりは本当に習得したい。

 

せめてもっと自分自身が求める理想像に妥協するとか出来たら良いんだけど・・・

 

だから俺は師走とか関係なく走り回る事はこれからも変わらないけど・・・

そもそも俺は【師】では無い(笑)

 

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料理と動画編集

今年も残り1ヶ月半になった。

本職の仕事も繁忙期に入り、今以上に時間の使い方を考えないと動画をお届け出来なくなってくる。

 

ここでの対策を考えておかないと本当に最悪な展開を迎えてしまうので、それだけは避けたい。だからこそ今しっかりやらないとだな。

 

話は本題に戻して。

今日は編集の話をしていこう。

以前なにかは忘れたけど編集と料理は似ていると言った記憶がある。この持論は今も変わらないけど、料理と違う点は、編集には「引き算」も必須だって事。

料理は足し算しか出来なくて、味が濃すぎた場合修正が効かなくなっていくけれど

動画は足し算でコテコテになっても引き算で修正が効く。

 

ここで何が言いたいかって言うと動画編集には足し算だけではダメだと言いたいのだ。

 

例えばゲームの実況動画にコテコテのテロップを付けすぎたりすると観づらいよね?

ゲームの映像が見たいのに邪魔や!ってなるだろうし、

料理の手元を観たいのにテロップで邪魔や!って思う事無いだろうか?

 

これは個人的に思うけどテレビのテロップの過多がYouTubeにも影響を少なからず及ぼしているのかと思う。バラエティー番組でもVTRにはワイプは付き物だし、テロップは付き物だ。無さすぎるのも違う気がするが、ありすぎるのも落ち着かない。

この采配は本当に難しいところである。

 

そしてその正解を決めるのは製作者側ではなく視聴者側の第三者だから余計に難しい。

 

去年東京ゲームショウに一緒に行った動画クリエイターのドクターナバとこんな話をした事があって・・・

 

「全部字幕を入れると見易いですぞ」と言われた事があったが、俺個人はそれが全てに当てはまらないと思ってはいて・・・

 

今でも字幕問題は頭をぐるぐる巡ることが編集中に多々ある。

彼の言ってる事を否定しているのでは無い。

 

勿論言ってる事は分かってる。

 

ただそれが元の撮影動画を半減させてたら意味がないと思ってるいるだけだ。

 

実写動画の難しいところで、淡々と本人達が喋ってるだけでも「動画」として成り立つがインパクトなり印象は薄くなりがちで、

逆にテロップだらけでアクセントも強調されすぎるとインパクトや印象は濃くなるが・・・

別の意味でうるさいと思われる。

 

何事もバランスが大事なのだ。

 

このバランスが一番難しいが、バランスだったり、編集だったり、まずやらない事には身に付かない。だから失敗してでも、やる必要がある。

失敗と思ったら、活かせばいい。料理は作ったらまた材料を買わないといけなかったりするけど、動画編集は元の動画さえあれば修正ややり直しはいくらでも効くのだから、まずはどんどん挑むのが一番いいと思う。

 

悩むのはやってからだ。

 

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決断の背景

昨日のラジオ動画で年内終了と伝えた。

しんみりした空気で伝えたくなかった、俺のエゴであの伝えた方になった。

始まりがあれば終わりがある。

でも完全な終わりではない。

 

実は夏頃から悩んでた。このまま続けても自分自身の成長があるのか?

果たしてU-SHOWTIMEの為になってるのか?

本当の意味で「心の拠り所」になっているのか?

そんな葛藤が頭の中でずっと囁き続けていた。

 

生のラジオも実は去年から案自体は出ていた。出ていたのだけど・・・

その案に首を縦に振る事は中々無かった。

 

クオリティが下がる。「自分の居場所」では無くなる。自分自身が納得いかなくなる。

等様々な俺にまつわる「軸」だったり「環境」を、変わる事が俺自身許せなかったのかも知れない。

 

なんだかんだ理由を付けて拒んでた背景を考えると、あの空間は好きだったんだなと俺自身思えた。ネタ考えてる時はどうしよう!ネタが無い!って叫んでた俺なのに・・・真剣に向き合うと表面上では見えない中がしっかり見えてくるんだよね。

たった15分。されど15分。この15分に色んなドラマがあった。俺だけではなく、聴いてる人達との人間交差点。15分って表面上だけの数字だけでは語れない、それぞれのドラマを受け止めた。それは本当に凄く有難い事で、YouTubeという、そして「ラジオ」という事をしていなければ交わる事が無かった俺とリスナー達の交差点。本当に素敵な時間だった。

 

でもそれでも満足をする事は1度も無かった。満足したらそこで止まるから。納得しては次は越えようの繰り返し。でも苦痛でもあったし、楽しくもあったし、楽だったのもあった。

 

みんなに届いてる15分の裏で1時間以上向き合ってきた事も多々あった。喋りたくない時もあった。でもそれでも500という通過点だけれども、休まず続けてこれてきたのはやっぱり「好き」だったんだよ。あの空間が、あの時間が。

 

好きな空間をもっと良くしたいって思う事はダメな事かな?そのままでも良いと言う人もいる事でしょう。

でもやっぱり現状に満足出来ないから、チャンネルを良くしたい、もっとラジオを良くしたいって気持ちには嘘つけなくて、その為にこの決断に至った。

 

そしてしんみり伝えると色々と勘繰られて「辛かった」「苦しかった」とか思われるのは不本意だし、好きだからこそ、前に進むためにあの感じの伝え方になった。

まぁ昨日の主役のにゃー子には申し訳なかったが(笑)

 

残り11,12月のラジオは全力挑むだけだし、そして「ラジオ」ってコンテンツは

U-SHOWTIMEから完全になくなる訳では無い。

後はこの決断を後悔しないように来年からの新しいラジオも全力でやるだけ。

 

残りの期間も沢山交われる様に進むだけ。

 

だからこの随筆からでもYouTubeの方に遊びに来て交わろうではないか!

 

聴いてる貴方にエネルギーを届ける事が出来るラジオと云うステージで!

 

最後クサかった?(笑)

 

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自信

人に言うかは別として

自信満々や自信過剰になってもいいと思うんだ。

自信って【自分(自身)を信じる】と書いて自信。

自分で自分を信じないで誰が自分を信じるんだろう?

 

簡単に言うなよと否定をする人もいるだろうが・・・

砕いていくと物凄く悲しい事実に辿り着いた俺自身の経験談でもある。

 

俺自身、今でも正直なにかにおいて自信があるか?と問われると自信ないと答えがちになるが、裏を返せば準備出来てないからその答えになるんだと思う。

不安だったり、初めての事だったり様々な要因はそこにはあるんだけど・・・

それまでの事をしてきてない(練習等、実績等)から自信がないに繋がる。

 

自分が相手を信用する時ってすぐに出来るだろうか?考えてみて欲しい。

それなりの日数や、交流、成果等が無ければ信用はしないだろう。

 

話を戻して・・・自分自身に問いて欲しい。

ここまでの人生の中で何一つ成功してないし成果を出してないだろうか?本当にしていない?些細な事でも?

えっ?些細な事では意味が無い?ってなんで?誰が決めたの?

些細な事、意味ない事はダメって誰が決めたの?

だって出来なかった事が出来たんでしょ?成功しなかった事が成功したんでしょ?

成果じゃん。違うかな?

 

例えば・・・毎回時間通りに来れない遅刻をする人がいたとする。周りは怒ったり呆れたりするよね?それが当たり前というか常識ってベースが出来ているから。

そして遅刻しないで来れたとしても周りは何も言わない。むしろそれが当然とも思っているから。まれに「やれば出来るじゃん」って言う人もいるかも知れないけど、そんなのは希少種とも思っておこう。

さぁここで本題。ここで「俺は出来るんだ」と思うのと「今回はたまたま」って思うのとではどっちが自分自身を肯定してるかな?そしてもう一つ、どっちが糧になるだろうか?

 

最初の問いは前者。これは言わずとも解ると思うけど・・・

次の問いは・・・どちらでも無い。

 

いやいやいや!設問になってないじゃんと思った皆様、お待ちください。ちゃんと説明するから。

ちょっと設問が意地悪だったことは認めるが糧としては「遅刻しないで時間に来れた」が正解。その事実が成功でもある。

何が言いたいかって、この小さな事の積み重ねが人を信じる事になるのに、自分自身には信じないっておかしくない?って話。

 

そう考えたらどうだろう?小さな成功や成果でも沢山出てきたんじゃないかな?

大きい小さいなんて自分決めちゃダメだと思うし、こんな事でって思うかもだけどやった事実は実績なのだからそれはしっかり自分で見ていく必要があると思う。

 

そして何かの物事に対して自信が持てないなら

自分自身大丈夫って言えるまでやりこんでいくしかないよね?

とは言えど過去の実績や成果、成功体験を無視してただひたすらに不安になったり自信が持てないのは、単に自分自身を否定しているだけだから。それってすごく悲しいし、虚しいよね。

どうせ失敗するなら調子こいて失敗した方がいいじゃん。

「豚もおだてりゃ木に登る」じゃないけどまずは自分自身が信じて進まなければ始まらないと思うよ。

 

そこに気付く事が出来たのは本当に大きいし、気付かせてくれた人に感謝しかないけど・・・

自信過剰になって「なにもしない」のは違うのでそこは間違えないように(笑)

 

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試行錯誤を繰り返してる人を見てると面白い。

対する「人」によって感想が変わるから。

 

人によっては言ってる事ころころ変えやがって。

人によってはもがいてるんだな。

人によっては頑張れ。

 

と様々ある。同じ事なのに。

 

人の印象によって与える感想が違う。俺にも様々な友人がいて迷い苦しみ悩みながら試行錯誤を繰り返してる人もいる。5人ほど・・・(それでも多いと思うのは内緒)

でも皆、通して言えるのは芯を持っているって事だ。芯を持っていても伝わらなければそれはそれでころころ変わりやがってになるんだろうけど。この5人の友人達は俺には芯の部分伝わってるから素直に応援したくなる。

そして芯を持ってるのであれば基本的に言葉の端々に表れるもので、必ず「なんとなく」ってフレーズは出てこない。

 

恥ずかしさで「なんとなく」と言ってごまかそうとするのもダメだと思う。

言いたい気持ちも分からなくはないが・・・努力がダサい。ひたむきな姿勢は見せたくない。とか様々な理由があるけど、自分で自分の気持ちに蓋をしている気がしてしまう。

そして聴いてる側も「なんとなく」と付くだけで脱力しないだろうか?俺はする。

 

俺自身過去に様々な言い訳を自分自身にしてきたこともあるし、思いがあってやってきた事に対して聞かれて、恥ずかしくて、カッコつけの勘違いで「いやぁ、ただなんとなく」って答えた事もある。そうするといつの間にか自分の中に変な逃げ道が出来てしまって本当の理由が頭の中から消えてしまう事があったから。本質が消えて自分が何のためにやってるのか分からなくなるのだ。「なんとなく」ってフレーズを免罪符にしてる方が幾分ダサいと気付くまで時間はかかったけど・・・

 

ダサかろうが、カッコ良いとか二の次で芯を持って発言するこの5人が俺の友人である事は本当に誇れる事だと思う。その5人から教わる事もあるし、口下手でも芯を持って成し遂げようとする姿は、口が上手くてそつなくこなす人よりもはるかに素敵だ。

 

俺自身も隠さずに芯をしっかり持って今後も頑張ろうと思えた。

今後恥ずかしいとかダサい思ったりしたらにこの5人の友人の誰かが頭の中で出てきて「俺はやってるのにお前はやらんのか?」

と叱咤激励をもらえるはずだから。

 

って事はまた脳内の住人が増えるって事?

まぁそれもそれでルームシェアみたいな感じで良いんだろうが、俺が寝る時はせめて静かにしてください。LINEでやり取りするのは許可します。

 

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一言

8月に友人と会話する機会があった。

付き合いは2年以上だがそれでもそこまでの深いやり取りが無い。

と書くと語弊を与えそうなので、本当に互いにピンポイントな時にやり取りをしている感じだった。

今この歳にして毎回ベッタリとツルんだりするのとは違うとは思うんだけど、互いが必要な時や、特別な時等にやり取りできるそんな関係性の友人。

 

事の発端は友人に聞きたい事があったから。

自分の考えてる事や向かってる道を進んでいると必ず迷う事が出てくる。望んでも無いのに(笑)。すんなり一本道で進ませてくれればいいのに。

そんな道中に俺自身がいた為、確認作業も踏まえて、新たな道が開かれる可能性も含めつつ連絡をして会話する時間が出来た。

 

聞きたい事の内容は1時間かかるかかからないかで終わったのだが・・・

やっぱり友人だけあって会話の波長が合うのだろう。会話自体は4時間近く会話していた気がする。

互いの近況だったり、過去にあった事件の答え合わせや共通の友人の話題だったりと本当に時間を忘れてお互い話し合っていた。

 

その中で

「ゆーちゃんはラジオ続けた方が絶対いいよ!」

と言葉をかけてもらった。内容は割愛させてもらうけど、正直そんな言葉をもらえるとも思って無かったし、飛ぶなんて微塵にも思わなかった。

 

言った側の意図は分からない。心底そう思って言ったのか、何気なく言ったのか。でも俺には深く刺さった。これは紛れもない事実。背中を押されたそんな気がした。

迷いが生んだ都合のいい解釈なのかも知れないが、でもどうあれ刺さったのは事実。

その事実があるだけでいい。あれこれ詮索するのは野暮ってもんだろう。

 

先程書いた共通の友人。実は昨年帰らぬ人になった。

2人して「早いね。」なんて物憂げに話していた。

実はこの共通の友人の生前の一言が今の俺が生まれた原点でもあるから、本当に縁と言うのは不思議だ。

 

話は遡る事2年前にその友人との会話で言われた一言

「その方がゆーちゃんにとっていい気がする。」

 

一見すると向こう側の感想なのだが強く心に残った。

何日経っても残った。そして追い打ちをかけるように、にゃー子

「その方が良い気がする。」

そして決断をして動いた。

 

ここまで書いていると俺自身が【たった一言で動く自分を持っていない人】って思われがちだが・・・俺自身基本頑固で人の意見は聞きはするけど、納得しないと動かない人だから俺の事を深く知ってる人は逆に驚く。だってにゃー子もその友人も

「まさか意見に同意するとは」

と言われた位だ。

ねぇ?君たちの中で俺はどれぐらいの頑固者のイメージでいたのよ?

 

言い換えれば【たった一言】で良くも悪くも人を動かす力が、そこにはあって俺たちはもっと言葉を大切に扱わないといけないとも思った。

 

そして使い方を間違えると意図しない方向に言葉の力で暴走を産み誰か傷付けてもしまう。新しい機械を手にした時に読む【取扱説明書】の様に読んで理解する。言葉もまた同じで理解するって事が必要だ。

難しい言葉を使って意図しない方向に進んでしまうのなら分かりやすい言葉を使って届ける方が幾分いい。

同じ一言でも使い方を間違えるだけで前に進めるものが、後ろに、あらぬ方向にいってしまうから・・・

 

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錯乱と翻弄

"秋に行きたくない

まだ早すぎるよ

やりたい事が山ほどあるのに

あれやこれやと浮かんでくる

24時間だけでは足りない

僕らの夏物語”

 

いきなりなんだとお思いの皆様の感想は間違ってないので

大丈夫ですよ。

 

前チャンネルで作った歌い手としての「ゆーちゃん」の歌

夏物語のサビの部分を書きました(下にはリンク貼っておくので聞いてみてね)

 

何故書いたかって?

この状況下になって気付けば夏を満喫できていない人の方が多いのではないだろうか?

無論俺もその中の一人で。

今年はこの状況下の中で初となる制限が無い状態でのこの季節に突入ともあって夏を満喫(それなりに対策を施しての)したいと思ってたし、ロケの計画も立てていた。

夏の風物詩でもある、花火大会やお祭りなどの開催。去年まで少ししか開いてなかった夏の扉は徐々に大きくなっていった。

 

大きくなったからと言って完全に油断をしていい事にはならない。

さっきも括弧で綴ったが・・・各々の対策が重なって大きくなって手に入れたこの夏の扉はまだ脆くで支えが必要な状況の中少しでも緩めるとまた狭まってしまうのだから。

 

そんな夏の扉を壊しに来るかの如く今年の夏になった途端、あいつは猛威を奮った。

毎日ニュースで聞く数字は日に日に大きくなり、多くの汗や想い、様々な人の願いは閉ざすという決断をせざるを得ない状況までになっていた。

実行させたい人、実行に不安な人。中止にしたい人。諦めた人。涙をのんだ人。喜んだ人・・・挙げたらキリがないからやめておくが、今年の夏は1番人々の想いが錯乱した夏ではないだろうか?

 

そして今年の夏。錯乱の中で俺は翻弄された。

正直な事を言うと辛い。予定が立て続けに壊され活動においても変更の変更を重ねたりして結局出来なかったことも出てきたから。

それは俺だけでは無い筈だしワガママを言うつもりも毛頭ない。受け入れる事は受け入れる。一つだけ愚痴を言うなら、3の手4の手を考えるのが本当に大変なのよ(笑)

 

大変なのはまだ俺自身がそこまで頭が回る余裕がないからで今回のこの翻弄されたことは1つまたいい経験をしたと思う。

 

ただ秋が来るのが早すぎた。夏らしい事をしたと言えばかき氷を食べた事位だから(笑)

とは言えもう今年の夏には戻れない。だからこの経験を活かしまた前に進み、秋は秋で出来る満喫をしていこう。

 

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